ジャニーズにオーディションなしで入った17人一覧!スカウト入所は誰?

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STARTO ENTERTAINMENT(ジャニーズ)

芸能界で多くの事務所が存在しており、その中でも男性アイドルグループで一番根強い事務所は「ジャニーズ(現 SMILE-UP.)」。

ジャニーズ事務所に在籍しているタレントは皆、履歴書を送ってオーディションに合格している方がほとんどですが、その中でも異例と呼ばれるジャニー喜多川氏による直接スカウトを受けてオーディションなしで入った人が居るのは知っていますか?

オーディションなしで入ったってことは何か決め手になるものがあったのかどうか気になりますよね。

この記事では、ジャニーズにオーディションなしで入った人を紹介していきます。

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ジャニーズに入所するにはオーディションを受けるのが基本!

スカウト

ジャニーズに入所するには9割以上がオーディションを受けるのがです。

元々ジャニーズはオーディション以外に入る方法がほぼなく、スカウトで入った方はほんのわずかです。

詳しくは後述しますがジャニーズにオーディションなしで入った人は17人いらっしゃいます!

では、オーディション以外にどんな方法で応募したパターンがあったのでしょうか。

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オーディションなしで入所するにも複数パターンがある?

オーディションなしで入所した方法は以下の通りです。

  • スカウト
  • 顔パス
  • 面接

内容をみていきましょう。

①スカウト

応募以外に事務所へ入る方法といえばスカウトですが、ジャニーズにスカウト枠はほとんどありません。

ジャニー喜多川氏によってスカウトされた人は数人いますが、希少なエリート枠といわれています。

ジャニーズ事務所には平均して1日1,000通程度の履歴書が届きます。スカウトマンを配置する必要はないようです。

②顔パス

ジャニーズ事務所へ入る方法は、履歴書を送ることから始まります。ですが、ジャニー喜多川氏が仕事で出かけた先に飾ってあった写真だけをみてその子に電話連絡をしたこともあるようです。

呼ばれた場所に行くとレッスン会場だったり、有名人のコンサートだったりするためオーディションに参加したことはなく、そのまま入所が決定した方が多いです。だから、自分がデビューするまで不合格と言われる日が来るのではないかと、不安に思うジャニーズも居たようです。

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③面接

履歴書を送って電話で折り返しの連絡があり、呼ばれた場所で食事だけする方もいたようです。

ただ、一緒に食事という名の面接をしただけです。

次に呼ばれたときはレッスンをする会場であったこともあったのだとか。

普通は、面接で人柄など言葉遣いなども見ていくと思いますが、ジャニー喜多川氏と直接会い食事をすることで、素の自分を見てもらいやすいのかもしれません。

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ジャニーズにオーディションなしで入った人【1970年代】

1970年代、オーディションなしで入った方は郷ひろみさん・近藤真彦さん・野村義男さん・東山紀之さんです。

国民の代表アイドルトップだった方が多いですね。

それぞれのスカウトエピソードをみていきましょう。

郷ひろみ(スカウト)


日本の男性アイドル代表の郷ひろみさん。現在年齢68歳。

まさかのジャニーズに入られていたことを最近知りました。

デビューのきっかけを2017年放送「1周回って知らない話」で語られていたことがわかりました。

近所のおばさんが無断でオーディションに応募しオーディションには落ちましたが、帰ろうとしていた郷さんをジャニー喜多川氏が引き止め「2週間後に遊びに来て」と声をかけられたことがきっかけです。

郷さんが渋谷の合宿所へ遊びに行ったところそのままNHKに連れて行かれ「15分待ってて」と言われました。

ジャニー喜多川氏が大河ドラマのプロデューサーと会い、戻ってくると「おめでとう、来年の大河ドラマ決まったから」と言われたそうです。後に、1972年大河ドラマ「新・平家物語」へ出演に繋がっていました。

名前の「郷ひろみ」は芸名で、フォーリーブスの北海道・旭川公演にジャニー喜多川氏と行き、そこでフォーリーブスのファンから「レッツゴーひろみ、ゴーゴーひろみ」と掛け声が起きたのがきっかけです。

レッツは取ってジャニー喜多川氏が考え直し「郷ひろみ」が誕生しました。

ちなみに本名は「原武 裕美(はらたけ ひろみ)」というそうです。

ジャニー喜多川氏は何を思って郷さんを呼び止めたのかは分かりませんが、郷さんの人生が変わる瞬間だったようですね。

近藤真彦(スカウト)


2021年にジャニーズ事務所を退所し、一番の最年長であった近藤真彦さん。現在年齢59歳。

近藤さんが13歳の頃、所属していた少年野球チームの監督の娘がチーム全員の集合写真をジャニーズ事務所へ送ったことがきっかけでした。

ジャニー喜多川氏は、その写真の中から近藤さんの顔に○印をつけて、チーム監督の娘のところに電話したそうです。

ジャニー喜多川氏の基準が分かりませんが、野球チームなので人数は多かったはず。その中から、近藤さんに目が留まっただけなのか、他にも○印をつけた方は居たか気になるところです。

ちなみに幼少期の近藤さんは丸刈りで顔が小さくひょろひょろだったことから松原秀樹さんに「マッチ棒」と呼ばれていたそうです。後に「棒」がとれて「マッチ」の愛称で呼ばれるようになりました。

野村義男(スカウト)


1990年にジャニーズ事務所を独立し、たのきんトリオで活躍していた野村義男さん。(左の方)現在年齢59歳。

野村さんが、12歳のときに代々木公演でゴーカートに乗っているところをジャニー喜多川氏に英語で声を掛けられたことがきっかけです。

ジャニー喜多川氏が川崎麻世さんなど、その当時いたタレントさんを連れてゴーカートで時間をつぶしてから帰ろうとしていたところ、たまたまそこにいた野村さんに話しかけてきたそうです。

英語で話しかけてきたことに対し戸惑った野村さんに名刺を渡されたと明かしています。その名刺はパッケージにして野村さんの机の上に飾って保管されているそうです。

12歳に英語で話しかけてこられるとびっくりしますよね。ゴーカートで遊んでいなければ、遭遇してなかったでしょうから、貴重な機会でしたね。

東山紀之(スカウト)


少年隊の元メンバーで、現在はSMILE-UPの代表取締役社長の東山紀之さん。現在年齢57歳。

東山さんが12歳の頃、母親が渋谷にあるNHKの職員用美容室で働いていた関係で「レッツゴーヤング」の公開収録のチケットをもらい帰路の途中に友達4人とスクランブル交差点で信号待ちをしていたところ、車で通りかかったジャニー喜多川氏に声をかけられたのがきっかけです。

ジャニー喜多川氏から「金八先生、見てる?」と声をかけられ「見てます」と東山さんが答え「じゃあ電話番号、教えてくれる?」と聞かれたと明かしていました。

これを今したら警察沙汰になりますね。

その後もジャニー喜多川氏は東山さん宅を訪れ「横浜で中華を食べよう」と誘っていたそうですが、ともに出かけた東山さんの妹が、ジャニー喜多川氏の車の中で嘔吐してしまい予定を急遽変更しました。

東山さんは菓子折りを持って事務所に謝罪をしに行き、そこで再度スカウトを受けジュニアに加入したようです。

全く事務所とか関係なく声をかけている様子が伺えますね。金八先生見てないと言っていたらどうなっていたのでしょうか。一つ一つのきっかけで人生って変わりやすいものですね。

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ジャニーズにオーディションなしで入った人【1980年代】

1980年代、オーディションなしで入った方は、諸星和己さん・城島茂さんです。

それぞれのスカウトエピソードをみていきましょう。

諸星和己(スカウト)


光GENJIの元メンバー諸星和己さん。(左の方)現在年齢53歳。

ジャニー喜多川氏との出会いは13歳で代々木公園でスカウトされたことがきっかけです。

諸星さんは、地元の静岡県から家出をしてそのまま野宿をしていました。その彼を見つけたのがジャニー喜多川氏です。「ジャニーだけど」と声をかけられたそうですが、諸星さんは全く状況を把握できませんでした。

その後は友達とはぐれてしまい所持金も1200円しかなくなってしまったので、ジャニー喜多川氏からもらった名刺にすがる思いで電話連絡したところ「合宿所に来なさい」と言われたそうです。

もし、代々木公演でジャニー喜多川氏に会っていなかったら、諸星さんはどうなっていたのでしょう。電話していなかったら、光GENJIにはなれていなかったでしょう。

〈TOKIO〉城島茂(面接)


株式会社TOKIOの代表取締役社長、城島茂さん。現在年齢53歳。

城島さんは、高校入学後に自らジャニーズ事務所に履歴書を送り、オーディションに受けることなく合格したスーパールーキーでした。

15歳の時に少年隊の仮面舞踏会を歌番組を見て「生活や何かが変わるんちゃうかな」と思い履歴書を書いて送ったことがきっかけです。

その後、ジャニー喜多川氏から直接電話がかかってきたようですが、城島さんは誰なのかわからず何度も聞き返したことを明らかにされています。

突然電話がかかってきたらそれはびっくりしますよね。

それから大阪のホテルでジャニー喜多川氏と会いレストランで食事をしたということです。顔を合わせ事務所入りが決まり、面接という面接ではなかったが結果合格だったことを明かしています。

15歳って色々と考える時期なのに、自ら履歴書を送るとはなかなかの勇気があると思います。もし送って居なかったらTOKIO城島リーダーの姿はなかったかもしれませんね。

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ジャニーズにオーディションなしで入った人【1990年代】

1990年代、オーディションなしで入った方は、堂本剛さん・堂本光一さん・三宅健さん・松本潤さんです。

国民アイドルグループトップの方々が多いですね。

彼らのスカウトエピソードをみていきましょう。

〈KinKi Kids〉堂本剛(顔パス)


3月31日をもって、ジャニーズ事務所を退所するKinKi Kidsの堂本剛さん。現在年齢44歳。

堂本剛さんは、6歳上の姉が本人の知らない間に履歴書をジャニーズ事務所に送ったことがきっかけです。

6歳上の姉は光GENJIの諸星和己さんのファンだったことから、堂本さんが知らない間に履歴書を事務所に送り、光GENJIのコンサートに招待されました。

当時の堂本さんは、中学受験も控えておりバスケットボールに夢中で事務所に入るつもりはなく断る予定だったそうです。1995年の5月5日に母親に「断るにしても自分の口で言いなさい」と横浜アリーナのコンサートを鑑賞しました。

この時に、今の相方「堂本光一」さんと出会ったのです。事務所から2~3日預からせてほしいと申し出があり、堂本光一さんと共に事務所入りを決めたそうです。

堂本剛さんは、奈良県のご出身なので中学校に通いながら仕事で新幹線で東京に行ったりなど往復する生活を送っていたようです。14歳の時に上京し、事務所の合宿所に岡田准一さんと同じ部屋で生活したこともあるようです。

ただ、履歴書を送ってコンサートに行っただけで事務所入りまで決まってしまうところをみると、履歴書から大物になれるオーラでも漂っていたのでしょうか。

〈KinKi Kids〉堂本光一(顔パス)


シンガーソングライターであり、ソロ活動も行っているKinKi Kidsの堂本光一さん。現在年齢45歳。

小学6年生の時に少年隊のファンであった姉に勝手にジャニーズ事務所に履歴書を郵送されたことがきっかけです。

光GENJIのコンサートを観ているうちに「かっこえぇな、やってみようかな」と思い始め、12歳の時に再び光GENJIのコンサートを横浜アリーナで鑑賞し事務所入りを決めました。

母親がこの時、社長にたった一言「よろしくお願いします」と言って頭を下げた姿を忘れないと堂本光一さんはインタビューで語っています。

この時横浜アリーナで出会ったのが、堂本剛さんですね。その後もバックダンサーなどを務め、同じ苗字であった堂本剛さんと2人そろって活動することが多くなりました。

「W堂本」や「KANZAIBOYA(カンサイボーヤ)」などの呼び名がありましたが、1993年に「キスした?SMAP」に「KinKi Kids」とグループ名が発表されました。

きっかけも事務所入りを決めたタイミングも堂本剛さんと一緒ですね。さすがKinKi Kidsです。

三宅健(顔パス)


V6の元メンバーで現在はTO BEでソロ活動をしている三宅健さん。現在年齢44歳。

三宅さんは、親戚の勧めでジャニーズ事務所へ履歴書を送ったことがきっかけです。

履歴書を送った2・3日後に社長のジャニー喜多川氏から直接電話を受けて、SMAPのコンサートに誘われました。

当日に中居正広さんがバラードを歌っている周りでたたずむ少年たちの役で出演し、その日のうちに私服でアイドル雑誌の撮影にも参加したそうです。

それからジャニーズJr.として活動を始めました。ジャニー喜多川氏より「YOUはビジュアルでいくから」と最初のうちはダンスレッスンも免除されたそうです。その後は、V6の元メンバー森田剛さんとともに「剛健コンビ」と呼ばれ人気を獲得していきました。

コンサートに呼ばれて、さっそく役をもらってステージにあっという間に立っているってすごいですよね。しかもダンスレッスン免除とか、初めは三宅さんどんな活動していたんでしょうか。歌のレッスンが多かったのかもしれませんね。

〈嵐〉松本潤(顔パス)


嵐のメンバー松本潤さん。現在年齢40歳。

松本さんは、小学生のときに姉がジャニーズ事務所に履歴書を送ったことがきっかけです。

KinKi Kidsの大ファンだった姉が「弟がジャニーズに入ったら会えるかもしれない」と思い履歴書を送ったそうです。

またこの頃、松本さんもジャニーズに憧れていたため履歴書を書くのを一緒に行いました。

当時の松本さんの履歴書をいたジャニー喜多川氏が自ら松本さんの自宅に電話をかけ「YOU!今、六本木のテレ朝でレッスンやってるから、来ちゃいなよ」と誘われました。

松本さんはオーディションを受けずに合格し、ジャニーズの中でエリートと言われていたそうです。

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ジャニーズにオーディションなしで入った人【2000年代~】

2000年代、オーディションなしで入った方は、岡本圭人さん・平野紫耀さん・京本大我さん・ジェシーさん・森本慎太郎さん・向井康二さん・猪狩蒼弥さんです。

今や大人気グループの売れっ子の名前ばかりですね。

そんな彼らのスカウトエピソードをみていきましょう。

岡本圭人(親のコネ)


Hey!Say!JUMPの元メンバーで現在俳優業中心の岡本圭人さん。現在年齢30歳。

岡本さんの父親は、元男闘呼組メンバーの岡本健一さんで親のコネで入ったことがきっかけです。

親のコネって、何の努力もなしでいいように聞こえますが芸能界に入るときの親子のエピソードがありました。

岡本健一さんは息子に「決めたなら最後までしっかり自分でやれよ」念を押し「俺が入れるけど」とジャニーズ事務所に口利きしてくれたそうです。しかし、その後は「ただ、お前は自分1人で頑張れよ」と、自分次第で決めること思いやりのあった激励の言葉を受け取ったと話されていました。

親に入れてもらえど、自分で決めたことだから最後までやり通すことが大事ですよね。Hey!Say!JUMPとしての活動は終わりましたが、俳優としての活動に期待していきましょう。

にしても、ジャニー喜多川氏を通さず息子を事務所に入れれる力のある岡本健一さんはすごいですね。

平野紫耀(スカウト)


King&Princeの元メンバーで、Number_iのメンバーの平野紫耀さん。現在年齢27歳。

平野さんは小学2年生との時からダンスを習っており、ダンススクールの合宿で上京した際に、光GENJIや少年隊の振付をしていたボビー吉野さんのレッスンを受けました。

その時に、ボビー吉野さんがジャニー喜多川氏に平野さんを紹介されたことがきっかけです。

オーディションに受けることなく2012年2月にジャニーズ事務所に入所したそうです。

ダンススクールの合宿に行っていなければ、ジャニー喜多川氏には会えていなかったでしょうし、ダンスをしていなければ平野さんに会える機会はなかったかもしれませんね。

〈SixTONES〉京本大我(スカウト)


SixTONESのメンバーの京本大我さん。現在年齢29歳。

京本さんは、ハワイの飲食店に飾ってあった1枚の写真がきっかけでした。

家族でハワイ旅行に出かけた時に撮った家族の記念写真が「和さび」というお店に飾られていたそうです。その写真を見たジャニー喜多川氏が「この子誰?」と聞いてお店の方が「京本政樹さんの息子さんですよ」と答え、独自のルートで連絡先を手に入れ、ジャニー喜多川氏自ら連絡してきたそうです。

ちなみにこの写真、母親と京本大我さんしか映っておらず、京本政樹さんは写っていなかったそうです。父親の影響はなかったと思いますが、京本さんがスカウトされたことで急遽家族会議がありました。父親に「大我はどうしたい?」と聞かれ、ダンスをしたときに楽しいなって思えた直感で「やってみたいかも」と答えたそうです。

父親は「本当に大変な世界だよ、しかも大我は2世という目でみられるから苦しい思いもするよ」と言われましたが「やってみる」と答えたそうです。小学生だったのでこの言葉の意味が分からなかったようですが、入所すると言葉の意味を理解してきました。SixTONESになってからは逃げずに、立ち向かっている姿が見てわかります

〈SixTONES〉森本慎太郎(スカウト)


SixTONESのメンバー森本慎太郎さん。現在年齢26歳。

森本さんが小学3年生の時に、ホテルにある中華料理屋さんで声を掛けられたのがきっかけです。

家族でご飯を食べている時に、ジャニーと名乗ったおじさんに「うち来ない?」と誘われ最初のうちは断っていたそうですが、断られてもめげないジャニーと名乗ったおじさんは月に1回くらいのペースで森本さんに電話をかけていたそうです。

森本さんは学校での出来事を、ジャニー喜多川氏は今やっている舞台の話など他愛もない話を繰り返していたそうです。そんなある日に、森本さんに滝沢秀明さんの舞台を見に来るように誘いました。

森本さんが誘いを受け舞台を観に行き事務所入りを決めたそうです。ジュニア時代から飛びぬけて人気が高く「Jr.のドン」と呼ばれていました。

オーディションなしで事務所の所属が決まったので、相当ジャニー喜多川氏の心を掴まれていましたね。

その頃の森本さんって本当に可愛いんですよ。


この可愛さ何なんでしょうね。飛びぬけて人気が高い理由も高校生のとりまきがついてた理由もわかりますね。

〈SixTONES〉ジェシー(スカウト)


SixTONESのメンバーのジェシーさん。現在年齢27歳。

ジェシーさんが通っていた空手道場で仲良くなった友達が紹介してくれたのがきっかけです。

4歳から8年間空手を習っていたジェシーさんは、通っていた空手道場に当時Jr.だったジョーイ・ティーさんが入ってきたそうですぐにジェシーさんと仲良くなったそうです。

ジャニー喜多川氏から「ハーフっぽい子探してきて」と言われ、ジョーイ・ティーさんがジェシーさんを紹介しました。

母親と一緒にジャニー喜多川氏に会いに行ったところオーディションもなくすぐ入所が決まったようです。

ジェシーさんは、アメリカと日本のハーフなのでジャニー喜多川氏の探していた子にぴったりだったのでしょう。

〈SnowMan〉向井康二(スカウト)


SnowManのメンバー向井康二さん。現在年齢29歳。

向井さんは、タイで生まれ幼少期はタイで過ごされていました。出身は奈良県になります。

タイで習っていたムエタイの道場にジャニー喜多川氏が仕事で訪れ、そこに飾られていた向井さんの写真に目が留まったことがきっかけです。

ジャニー喜多川氏が「これ誰?」と道場の関係者に連絡先を聞き、日本に帰国中だった向井さんの家に直接電話がありました。向井さんの母親は嘘だと受け止め電話を切ったそうです。

ですが、ジャニー喜多川氏も諦めなかったのでしょう。1日5回連絡がくるほど熱烈なアピールを受けたようです。

母親に「お菓子あげるから」と興味はなかったが言葉につられ、一緒に大阪城ホールで滝沢秀明さんが出演するコンサートを観覧しました。この時初めてジャニー喜多川氏と対面したそうです。

当時、向井さんは小学2年生で幼かったため、小学5年生になった2006年10月8日にジャニーズ事務所に入所したことを明かしています。

向井さんもオーディションなどはなかったようですぐに入所が決まったようですね。

〈HiHi Jets〉猪狩蒼弥(スカウト)


ジュニア内男性アイドルグループ、HiHi Jetsのメンバー猪狩蒼弥さん。現在年齢21歳。

猪狩さんは父親の影響でローラースケートをしていたことがきっかけです。

猪狩さんの父親は「東京ボンバーズ」というローラーゲームチームに所属しており、猪狩さんは小学4年生からローラースケートを習い始めていました。

いつも練習に来ていたローラースケート場で猪狩さんを見かけたジャニー喜多川氏は、父親に声をかけジャニーズ事務所へ入所が決定しました。

この時、猪狩さんには知られておらず父親とマネージャーとジャニー喜多川氏の3人で話し、帰りの車の中で父親から「ジャニーズ事務所に入れるらしいぞ」と報告をうけて知ったようです。

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まとめ

スカウト

この記事では、ジャニーズにオーディションなしで入った17名についてまとめました。

ジャニー喜多川氏の自ら声をかけられた方や、写真が目に留まり連絡を受けた方などさまざまな形での入所決定がわかりました。

ジャニー喜多川氏が声をかけていなければ、今こうやって活動はしていなかったかもしれませんね。

みなさん今や人気が絶大なので、小学生や中学生の時にこうなる予想などはしていなかったでしょう。

事務所の改名が行われ、今年の4月に「WE ARE! Let‘s get the party STARTO!!」の公演が決定しています。4月10日東京ドーム、5月29日30日に京セラドーム大阪で開催し新たなスタートで走り出します。

新体制になってからはスカウトはしていないようなので、今はどうやって人材を募集しているのでしょう。ジャニーズに憧れている方、興味がある方は自ら履歴書を送ったりオーディションに参加しなくてはなりませんね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。