昭和の名曲、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」
上野発の夜行列車降りたときから
青森駅は雪の中
北へ帰る人の群れは誰も無口で
海鳴りだけを聞いている
私も独り連絡船に乗り
凍えそうな鴎見つめ泣いていました
あゝ津軽海峡冬景色— としョ㌠ (@clean_library) July 24, 2021
歌詞を見ただけでメロディが浮かんできますよね。
その歌詞中に登場する「上野発の夜行列車」は今どうなっているかご存じですか?
どんどん本数を減らし、死語になりつつある夜行列車の現在について解説します。
「津軽海峡・冬景色」とは?
「津軽海峡・冬景色」は1977年の元日、1月1日に発売された石川さゆり15枚目のシングルです。
第19回日本レコード大賞の歌唱賞はじめ数々の賞を受賞した大ヒット曲で、演歌歌手関係ないジャンルの人にも多くカバーされ、世代を問わない有名楽曲になっています。
「NHK紅白歌合戦」では2021年まで合計12回歌われ、これは石川さゆり自身が歌う「天城越え」に次ぐ紅組歴代二位の記録となっているのです。
歌詞の内容は、東京を出発し、本州最北端の青森駅から津軽海峡をこえ北海道に渡る一人の女性の心情を表すものになっており、どこか寂しげなメロディと相まって涙を誘われる人も多いのではないでしょうか。
また楽曲が発売されてから45年が経過した今となってはもうみられない描写も多々あり、時代の移り変わりを感じられる点があるのも特徴です。
上野発夜行列車 津軽海峡冬景色 pic.twitter.com/jj33CskKAP
— M電 (@matuyaha) September 13, 2020
歌詞中に登場する夜行列車は何?
その一つが印象的な歌い出しの中にある「夜行列車」ですね。
歌詞が書かれたであろう1976年当時、上野駅を出発して青森駅に到着する列車は非常に多く、夜行列車に限ってもゆうに10本以上あったそうです。
そんな中、歌詞に登場する女性はどの夜行列車に乗ったのでしょうか。
描かれている歌詞が1976年という前提でみると「ゆうづる」「十和田」「はくつる」「八甲田」といった夜行列車が存在していました。
この中で特急は「ゆうづる」「はくつる」の二つです。
「連絡船までみんな無口=黙っていた」ことから青森駅には早朝に到着したのでしょう。
その条件で考えると19時台~20時頃の「ゆうづる1号」か「ゆうづる2号」に絞られるようです。ただ連絡船の接続を考えた場合「ゆうづる2号」は降車後、やや急がなければなりません。
歌詞に登場する女性は、連絡船でひとり泣いていることから、離婚、あるいは単に恋人と別れたけれども男性への未練が少し残っているように思われます。
そういったことからもなるべく東京に残っていたい心理が働き、後発の「ゆうづる2号」に乗ったのではないでしょうか。
連絡船は無くなった?
「津軽海峡・冬景色」の中で女性がひとり乗った「連絡船」は北海道と青森の間にある津軽海峡を横断する「青函連絡船」(鉄道連絡船)のことです。
鉄道連絡船とは、線路を通すことができない海や湖などの上を、それぞれの間をつなぐ目的で就航する船のことです。
「青函連絡船」は文字通り青森と函館の間を、1908年から長きにわたって多くの人々を運び続けていました。
しかし1988年に青函トンネルが開通したおかげで、列車のみで本州から北海道に渡れるようになり、役目を終えることになりました。
したがって、現在は運航されていません。
ただ、連絡船という形ではありませんが、フェリーとなって1日8往復しているので、船で渡れなくなったわけではないのです。