【世界遺産】マチュピチュ最大の謎!500年以上流れる水はどこから来てる?

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日常

1911年に発見されてから100年以上経過した今もなお、謎が多い世界遺産マチュピチュ

中でも500年以上にわたって流れ続けている水の水源が見つかっていないのはご存じですか?

「そもそも何故建造されたのか?」「なぜマチュピチュから人が消えたのか」「2010年に隠し扉が発見された?」など、四つの謎について解説します。

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マチュピチュとは?

ペルーの標高2,430mという山奥にある15世紀のインカ帝国の遺跡であり、今なお多くの謎に包まれている複合遺産の一つです。

1911年7月24日に、ハイラム・ビンガム3世という人物が、 この地域の古いインカ時代の道路を探検していた時、 山の上に遺跡をみつけ、調査して世界に発表しました。

遺跡には大きな宮殿や寺院が王宮の周囲にあり、そこでの生活を支える職員の住処もありました。最大で約750名の住民が住んでいたと推定されています。

また雨季や王族が不在の時には、ほんの一握りしか住民はいなかったと予想されているのです。

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マチュピチュは建造されたのはなぜ?

1533年、インカ帝国がスペイン人の征服により滅亡したのですが、スペインが支配するまでペルーで栄えていたアンデス文明は文字を持っていなかったことから、なぜ建造されたか分かっていません。

ハイラム・ビンガム3世の調査によると、人が常時住んでいるような都市ではなく、インカの王族や貴族のための避暑地としての冬の都や、田舎の別荘といった用途のものだったことがわかったそうです。

他にも「インカ帝国の離宮のため」や、「インカ帝国を滅ぼしたスペイン人に見つからないようにするため」という説が存在したのですが、現在では「宗教都市」だった説が濃厚になっているのだとか。

インカの神は日本やエジプトと同じく、太陽を信仰の対象とみなして神格化している太陽神でした。

マチュピチュは高地にあり、かつ両側が切り立った崖上になっているので、太陽観測に最も適した地形をしているとも言えます。

また、急斜面に位置したマチュピチュの頂上には太陽の神殿があり、その頂上にはインティワタナと呼ばれる、太陽をつなぎ止める石が設置されています。

その上、夏至と冬至が正確に分かる窓があって、太陽を使った暦を観測・作成したという証拠が多く存在しているのだそうです。

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「どうやって作ったか?」は2019年に解決した?

宗教都市である可能性が高いマチュピチュですが、何故建造されたか以外に発見時に話題になったことがあります。

それは「どうやって作ったのか?」です。

これについて2019年に米国地質学会の会合で発表された研究論文で新たな事実が判明しました。

リオグランデドスール連邦大学が現地調査と航空写真の分析を行った結果、マチュピチュは北東から南西に伸びる断層と、北西から南東に伸びる断層が交差する場所に建てられていて、個々の寺院や建造物も断層に沿って並んでいることが分かったのです。

つまりマチュピチュを建造した人々は、2億5000万年前に発生した地殻運動で砕かれた花崗岩を、建造物を建てるために利用したとのこと。

遺跡をかたどっている岩はすべて現地調達で、それを見越してこの場所を選んだということです。

精巧な石の加工は、岩の割れめや穴に水をふくませた棒を入れて、その棒が膨張する力を使う方法で、穴などの大きさや深さ、角度等を変えてイメージ通りの形にする技術によって実現しました。

アンデス文明の高度さをうかがい知れることができますね!

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500年流れる水はどこから来ているのか?

人が暮らしていくのに、水は必要不可欠です。

マチュピチュではその水は遺跡の地下を通り、高低差を利用してマチュピチュ全体に行き渡る ようになっています。

しかし、肝心の水源が見つかっていないのです。

これはマチュピチュ発見から100年以上が経過した今も謎のままです。

地理的にアンデス山脈はたっぷり雨が降る上に、毎朝のように深い霧が発生するので、そこから水を取り出しているのではないかと考えられているのですが、

それがどこにどのようにして貯められているのか、どのように水路が作られたのか?

答えを導くには、遺跡全体を掘り起こさないと分からないと言われているので、私たちが生きている間はずっと謎のままかもしれませんね。

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マチュピチュから人が消えたのはなぜ?

マチュピチュはしばしば「失われた都市」と形容されます。

発見された時に誰もいなかったからそう呼ばれるのですが、もしスペインが侵略したときにマチュピチュでスペインに攻撃を受けたとしたら、遺跡はボロボロになっていたはず。

しかし現実ではマチュピチュは破壊された形跡などなく、水路にはしっかりと水が流れ続けているのです。

ともすれば何か別の理由があって、マチュピチュを手放した可能性が示唆されます。

・単純に天候などの理由で食料が調達できなくなった
・伝染病や風土病が流行した
・スペイン人に見つかりそうになったから一気に移動した

などが挙げられますが、どれも決定的な証拠は見つかっておらず答えは出ていません。

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2010年に発見された隠し扉とは?

2010年にとある不自然な石組みが発見され、そこを調査したところ奥に隠し扉が見つかりました。

その向こう側をレーダーで調べてみると、 中には地下へと続く階段があり、金属の反応が多くあったことから、皇帝のような権力者のお墓や、 金銀財宝の副葬品がおそらく眠っていると言われています。

10年以上経過した今もその扉は開かれていないのですが、その理由はペルー政府

「入り口をおおっている石を取りのぞくことで、例えばマチュピチュの構造が大きく崩れるというような、どんな危険が待っているか分からない」

と主張しているためです。

今後開かれるまでには、技術の進歩が必須でそれまでにかなり時間がかかることは目に見えているのですが、ロマンがありませんか?

筆者はこのニュースを見たとき非常にワクワクしました!!

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まとめ

ペルーにある世界遺産「マチュピチュ」

アンデス山脈の山奥にたたずむ空中都市には、発見から100年以上経過しても不思議な謎がまだまだ残っています。

500年以上流れる水はおそらく雨や霧から集めた水源から流れてきているのですが、肝心の水源は未だに見つかっておらず、謎は全て解けていません。

他にも「建造された理由」「人が消えた理由」「隠し扉」などなど、多くの謎があります。

一つでも謎が解決してほしいですね!